荒井 美帆『自分の「好き」に向かって動き続ける』

荒井 美帆
1988年生まれ。東京都出身。6歳から水泳をはじめ、9歳からシンクロナイズドスイミングに転向。小学校5年生の時、東京シンクロクラブに入り本格的にはじめる。高校生であった2005年の国体では優勝して、ジュニアでも実績を残す。2009年には日本代表入りを果たし世界選手権に3大会連続で出場やワールドカップに出場。2015年、日本選手権にてソロ準優勝し26歳で引退。引退後はメイクアップアーティスト、そして水中パフォーマーとして活躍中。


これまでのキャリア

●2005年 US OPENチーム3位  国体優勝
●2006年 ジュニア世界選手権チーム3位 フリーコンビネーション3位
●2009年 世界水泳チームテクニカル5位 フリーコンビネーション5位
●2010年 ワールドカップチーム4位 フリーコンビネーション4位
●2010年 アジア大会チーム2位 フリーコンビネーション2位
●2011年 世界水泳チーム5位
●2012年 ロンドン五輪世界予選チーム3位
●2013年 世界水泳チーム4位 フリーコンビネーション4位
●2014年 ワールドカップチーム2位 フリーコンビネーション2位
●2014年 アジア大会チーム2位 フリーコンビネーション2位
●2015年 引退 メイクアップアーティストを始める
●2018年 ロイヤルカリビアンと契約して、豪華客船でのショーに参加。


■イルカと一緒に泳ぎたい

6歳から東京都葛飾区の金町スイミングクラブに通い水泳をはじめる。
泳ぐことが本当に楽しく水泳が大好きになった。
9歳の時、たまたまそのスクールでシンクロクラブをやっていたので興味を持ち始めた。実は幼いころから毎週見ていたテレビの番組で、あるとき小谷実可子さんが野生のイルカと一緒に泳いでいるところを見て「私も絶対こういう風に野生のイルカと泳ぎたい」と思っていた。実は小谷さんがやっていたのは水泳ではなくこのシンクロだとわかり興味をもった。
小谷実可子さんと言えば荒井さんが生まれた年のソウルオリンピックシンクロ代表。そしてソロで銅メダルを取った選手と言うことを知り、シンクロナイズドスイミングをやることを決意した。ちょうど9歳のときだった。


■競技として大好きなシンクロを自分でやりたいと

ただ通っていたスクールのシンクロクラブは、トップレベルを目指すチームではなかったので成績を残すほどハードなトレーニングというわけでもなかった。大会にも出たが下から数えた方が早かったという。しかし始めたことからシンクロの虜になり、当時はただただ楽しんでいた。
そんな荒井さんをみて母親が「もっと本気でやらせたい」と感じ、知り合いを通じて強いチームを紹介してもらうことになる。
東京シンクロクラブ(現在は東京アーティスティックスイミングクラブ)というメダリストの小谷さんも所属していたクラブ。日本代表やオリンピック選手を何名も出している。
実はこの東京シンクロクラブこそが、荒井さんが2015年に引退するまで所属していたクラブ。シンクロナイズドスイミングという競技は、学校での部活動として実施しているところは少なく、シンクロ選手はほぼ全員、学校外のクラブチームに所属する。ただトップクラスのみシンクロ選手としての高校や大学への推薦はある。ジュニアでも大会があるため。それを容認している。
高校は赤羽にある成立学園に推薦入学。学校を選んだ理由は赤羽からJISS(国立スポーツ科学センター)のプールが近かったため。そこで中学生~大学生が混じって練習をする。ほぼ休みもなくシンクロの日々が続く。
推薦されたからと言ってトップレベルに行くには大変狭き門。
全国で選考会出場権を得られるのはトップ20人~25人のみ。
そして選抜チームは10名程度に絞られる。
大学は日本大学の推薦枠で進学。水泳部に所属しながら同じクラブチームで活動する。このころから毎日プールで浸かって練習する日々が続く。休みもなし。そして1日の摂取カロリーは5000キロカロリーと決められており大変きつかったと言う。どうしても痩せる体質ということもありとにかく頑張った。


■オリンピックは子供のころからの夢

アスリートならでは目標。とにかく好きなスポーツでオリンピックに出たい。19歳で迎えた2008年のオリンピックは最終選考まで残るも代表には選ばれなかった。ただオリンピックに同じクラブの先輩が出場したのでオリンピックを観戦し世界を観にいった。もっともっと頑張らないとオリンピックは遠いなと感じたと荒井さん。しかし北京オリンピックの代表選手はチームでメダルを獲得できず全員引退。大学生だった荒井さんは2009年から日本代表に入った。次の目標だった2012年のロンドンオリンピックを目指して順調なスタートをきる。
2010年に大学卒業後ミキハウスに入社。社会人になったが、クラブチームを継続できる環境が整っていた。オリンピックはチームとデュエット共に1組ずつ出場ができる。荒井さんはオリンピックチームメンバー入りを目指して練習した。そしてオリンピック予選会では日本代表としてチームに帯同した。
しかし残念ながら2012年のロンドンオリンピックは出場選手枠が9名、選考会で9位までが選出されるが10位になりメンバーには入れなかった。


■幼少期から本当に好きだったシンクロナイドスイミング、でも・・

ロンドンオリンピックには出場できなかった荒井さんは24歳という年齢になった。シンクロを引退する方々は24~25歳が一番多い。ロンドンが終わったら引退しようかと考えたこともあったが、次のオリンピックを目指すという気持ちは決してなくなったわけではなかった。しかし9歳からシンクロが大好きで続けられては来たが、メダルを取るためにこれほどまで練習を続けるべきか初めて悩んだ。2014年のシーズンの練習は本当に厳しく代表ながら引退と言う文字が浮かび始めた。今までも辛い練習だったが、想像を超える辛い練習に耐えられなくなっていった。色々悩み日本代表という責任感もあり、まだ引退は考えなかったが次のオリンピックを目指すモチベーションも徐々に下がっていく自分に気付いた。2009年から6年間続けた日本代表。引退ということを考え始めた時に、初めて辞めたいと思った。


■メイクアップアーティストそして水中パフォーマーに

シンクロを始めた時から、一度もシンクロを辞めたいと思ったことはなかった。練習に行きたくないというのは何度もあったが(笑)それだけシンクロが好きだった。だからこそ引退後もシンクロに関わる仕事はしていきたいと思っていた。コーチングという道もあったが、メイクアップアーティストをやりたいという気持ちがふと芽生えた。
メイクアップアアーティストと言っても、シンクロに関わるメイク。
日本代表選手であってもメイクは全て自分でする。ただ、日本代表ではメイク講習会があり、そこで試合用メイクのレクチャーをうけプロのメイクを習得する。ただのメイクではなく、水中でも落ちないメイク。
実は日本代表選手になれなかった選手はメイクのレクチャーを受けることはない。そういったシンクロの選手にメイクアップを教えたいという気持ちになった。そういった選手は選手同士で考えながらメイクをしていた。仕上がりは、プロのメイクとかけ離れたものになるケースが多かった。
引退後、メイクアップアーティストの学校に2年間通いデザインメイクというカリキュラムが気に入り、その分野にも進出。自分のセカンドキャリアはこの道だと思ったがすぐに仕事には結びつかなかった。


■プロのアーティスティックススイミングパフォーマーとして

メイクアップアーティストの仕事はさらなるステージでしっかりと継続しつつ水中ショーについても興味があった。教員をしている母親から学校でシンクロを見せてくれないかと言う依頼がありパフォーマンスを披露した。
なかなか見ることのできないシンクロを大変喜んでもらえた。
シンクロナイズドスイミングはなかなか披露する場がなく、国内でもショーを定期的にやっているわけではない。でもショーを見せたいという気持ちが高まる中、海外のエージェントからオファーがきた。
豪華客船を何隻も所有するロイヤルカリビアンだった。ショーではエアリアルからダンスからシンクロからすべてをこなす。一年のうちほぼ船上にいると言う条件ではあったがすぐにチャレンジしたくオファーを受けた。当初はあまり自信がなかった英語でのコミュニケーション。英語はマルタ共和国で2カ月短期留学して勉強した。それから船に乗り込んだが、1年のほとんどを船で過ごすうちにある程度コミュニケーションがとれるようになった。
2018年にロイヤルカリビアンと契約して、世界でも最大級の豪華客船でのパフォーマンスショーに参加してこの上ない充実感・達成感があった。
2022年は就航したばかりのワンダー・オブ・ザ・シーズと言う史上最大22万トンのクラスの客船に乗船した。全長は362m、最大8000名以上が乗船できる巨大な船内に円形水中アクアシアターでショーは実施される。今は日本人が9人ほどいるという。年末までこの船でショーをした。夏はヨーロッパをまわり秋はカリブ海を就航していた。
この仕事に付かなければこのような豪華客船で1年を過ごすことはまずない。
シンクロナイズドスイミングを幼少期からやっていったことで、誰にも負けないくらいの厳しい練習をこなし普通以上にメンタルも強くなり言葉に表せないほどのなかなか経験できない達成感を得た。引退して7年経ったがシンクロに関わる仕事が出来ている。これからもシンクロに関わる仕事は続け、まだまだチャレンジしていきますと荒井さん。

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