競技との出会い
1988年生まれ。9歳の時に地元のスポーツ少年団に入団したのがきっかけ。よい指導者に恵まれ、バドミントンの楽しさを知り「もっとやりたい、もっと強くなりたい」という気持ちがどんどん湧いてきて、小学校5年生から全国大会に出場できるほど練習に打ち込んだ。中学校から高校3年生までジュニアナショナルチームに所属し、数多くの海外遠征を経験した。
これまでのキャリア
●2000年 全国小学生ABC大会 Aの部 準優勝
●2002・2003年 全国中学校バドミントン大会 シングルス3位
●2005年 インターハイ シングル 準優勝
●2006年 オーストラリア国際 シングルス3位
●2007年 NTT東日本入社 ナショナルユースチームで海外遠征を経験する
■■■■■ ベトナムオープン シングルスベスト8
●2008年 スマイリングフィッシュタイサテライト ダブルス優勝
●2012年 NTT東日本退社 筑波大学入学
●2012年 インドネシア スラバヤカップ シングルス3位
●2014・2015年 インカレ団体優勝
●2016年 全日本教職員大会 シングルス優勝
■高校卒業時
高校卒業後の進路については、大学進学も考えたが、「世界を目指したい」という強い思いから、日本代表選手が数多く所属する企業スポーツチームのNTT東日本でプレーすることを選択した。
■社会人時代
NTT東日本では午前中は社業、午後からは企業スポーツ活動(練習)をして、競技優先の恵まれた環境下で競技力向上に取り組んだ。社会人1年目から3年間、ナショナルユースチームに所属し、国内大会だけでなく海外遠征での経験も積んだ。
しかし、社会人のレベルの高さに苦戦することも多く、全日本総合バドミントン選手権大会ではベスト16以上の結果が出せなかった。ジュニア時代のように思うような結果が残せず、社会人4年目以降はナショナルユースチーム代表に選出されなくなり選手引退を考えるようになった。
社会人5年目になり、NTT東日本の社業に専念することも考えたが、もう一度自分を見つめなおしたとき、バドミントンへの熱い思いが込み上げてきて、自分の信念を貫き通すために大学進学という選択に至った。
■教員免許取得と指導者になる目標を持って
大学受験にあたって、筑波大学のバドミントン部に素晴らしい先生がいることを知っていたので、筑波大学にどうしても入りたいと思い、セカンドキャリアを考えた社会人5年目から受験の準備を進めた。
NTT東日本で5年間所属していた時の自分を振り返り、最も大切な「知」を欠いて競技経験を積み重ねてきたと気付いた。自らを知る「知」を求めて筑波大学に進学し、体育専門学群で中・高教員免許を取得した。また主専攻の健康・スポーツマネジメントだけでなく、内科系スポーツ医学研究室に所属し、アスリートのコンディショニングについても学んだ。競技スポーツだけでなく生涯スポーツについても学び、プレーヤーとしての自己を形成すると共に人との関わりの中で「他者」の理解にも向かう「知」を獲得した。選手としても、4年間インカレに出場し、大学3年・4年時は団体で二連覇を達成した。
母校の県立岐阜商業高校の教育実習で、授業や部活動指導で生徒と関わり、生徒一人ひとりの力を引き出し、個性を伸ばすことに喜びとやりがいを感じ、教員の道に進むことを決意する。その後、筑波大学に進学したことで幅広い人脈にも恵まれ、岡山インターハイの関係で指導者として声をかけてもらい、岡山県にご縁をいただくこととなった。
■教員とバドミントン指導者としてのセカンドキャリア
正規の教員として1年間務めたが、バドミントンを通してもっと沢山の人たちと関わりたいという気持ちが強くなり、非常勤講師に変わる選択をした。勤務する高校の部活動で指導を行いながら、スポーツクラブでバドミントン教室を開講したり、プライベートレッスンも行った。その傍ら、自分自身も練習やトレーニングを積み、全日本総合選手権出場を目標に競技を続け、高校1年生から全日本総合選手権に通算14回出場した。この「継続」と「蓄積」が自分の指導者としての強みであると自負している。
■大好きなバドミントンを教える楽しさ
現在は初めてラケットを握る子供や高齢者の方、ジュニアのトップ選手など幅広い年代にバドミントンを教えている。「できる」喜びを感じてもらったり、健康な体づくりのお手伝いをしたり、レッスンを受けてくれる人とコミュニケーションを図りながら、幸せな気持ちになってもらうことが目標である。そんな幅広い世代の人たちに競技の楽しさを伝えられることに自分自身も幸せを感じている。
■環境を変える勇気
常にトップを目指すアスリートは必ず転機が来る。そんな時、環境を変えてみる勇気も必要だと思う。ただ、環境は変えてもアスリートとして培ってきた経験を活かし、信念を持ち続けることが大切だと思う。変わらない自分でいるために環境を変えるのだ。