緒方 亜香里『柔道も仕事も、こうと決めたら、 自分を信じて突き進む その力はピカイチだと思っています。』

 

緒方 亜香里
1990年9月24日生まれ。熊本県出身。小学生のころは空手、中学1年から柔道を始める。阿蘇高校3年の時に78キロ級で高校総体優勝。筑波大学に進学し、4年生のときにロンドン五輪に出場。大学卒業後は、柔道の実業団、了徳寺大学職員柔道部に所属し、全日本女子選手権で優勝。現役中に所属先の専門学校で柔道整復師、鍼灸師の資格取得に向けた勉強を始め、2018年の講道館杯で引退。現在は3つの国家資格を取得し、医療法人社団了徳寺会両国みどりクリニックで柔道整復師として勤務する傍ら、高校生、了徳寺所属の柔道選手のサポートをしている。


これまでのキャリア

●阿蘇高校3年生のとき、高校総体の個人戦78キロ級でオール一本勝ちで優勝。
●筑波大学に進学し、世界選手権で銅メダル、銀メダルを獲得。4年生のときにロンドン五輪に出場。
●柔道の実業団・了徳寺大学職員柔道部に所属。
●全日本女子選手権で、最重量級以外の階級の選手として14年ぶりに優勝。
●2016年4月、現役選手を続けながら、所属先の系列である医療専門学校の柔道整復師コースに進学。
●2018年、同専門学校の鍼灸師のコースに進学し、この年は柔道整復師のコースと並行して学んだ。年末の講道館杯で現役を引退。
●2019年柔道整復師の国家資格を取得。
●医療法人社団了徳寺会両国みどりクリニックに勤務。
●2021年鍼灸師(はり師、きゅう師)の国家資格を取得。
●両国みどりクリニックに勤務しながら、了徳寺大学職員柔道部のトレーナーや休みの日には高校総体に出場する高校生のサポートもしている。


■柔道に代わる新しい目標が、すぐには思いつかなかった   

2度目のオリンピック出場が厳しくなったとき、緒方亜香里さんは現役を続けながら、所属先の系列の医療専門学校で、柔道整復師の資格取得に向けた勉強を始めた。筑波大学4年生の時に、ロンドンオリンピックに出場。その翌年には、無差別階級で行われる全日本女子選手権で、最重量級ではない階級の選手として14年ぶりに優勝を果たした。78キロ級の第一人者として順風満帆な社会人生活がスタートしたと、誰もが思ったその矢先。全日本女子選手権直後の練習で緒方さんは大けがを負ってしまう。右ひざの前十字断裂。それでも世界選手権の選考を兼ねた国内大会に出て日本代表に選出され、強行出場。「やめておけと言われても、世界選手権にはどうしても出たかった。リハビリすればやれると信じて臨んだのですが、まったく自分の柔道はできませんでした」。結果的に右ひざのケガが、その後の緒方さんの柔道人生をままならない方へと追い込んでしまうこととなる。
「必死にリハビリしても完治はさせられず、ガツガツと激しく前に出るという自分のスタイルが出せなくなってしまった。思い切りやろうとしても、反射的にひざの方がひるんでしまって、怖いと思う感覚が抜けなかった。メンタルケアに通っても効果がなく、そのままリオデジャネイロオリンピック選考のシーズンを迎え、勝ち切ることができないままに代表を逃してしまいました」
柔道が強くなり始めたころに、自分の中で「3冠達成」という目標を立てた。全日本女子選手権優勝。世界選手権金メダル。オリンピック金メダル。大学時代に世界選手権に2度(銅メダル、銀メダル)、オリンピックにも出場したが、金メダルには届かなかった。超級の選手以外は優勝が難しいと言われる全日本女子選手権のタイトルを獲得して、まず1冠達成。再度2冠を狙った道半ばで、緒方さんは立ち止まってしまった。
「この先私は何をしたらいいのだろう。柔道しかしてこなかったので、ほかに仕事として考えられるものも、資格や知識もない。教員やコーチとして柔道の指導にあたるのは、自分には向いていない気がする。柔道に関わるのであれば、選手のそばに寄り添って、同じ目線でサポートしてあげたい」。そこで気が付いた。「今の所属先の系列には医療の専門学校がある。トレーナーの勉強をしてみたらどうだろう」。
国家資格取得が3冠の次の目標に定まり、新たな挑戦が始まった。


オリンピックに出ると決めたら、迷わず一直線

 兄の影響もあり、柔道を始めたのは中学一年生から。それまでは空手を習っていて小学校4年生のときには全国優勝を果たしたこともある。柔道でもすぐに頭角を現し、2年生で全国中学生大会に出場。3年生では63キロ級で同大会3位となった。熊本県下の強豪高校からスカウトを受けるも、親は実家から通える高校を切望。それでも親の反対を押し切ったのは、その高校の先生から「オリンピックに行ける選手になれる」と言われてスイッチが入ったからだ。進学した阿蘇高校は厳しい練習と寮生活で張り詰めた毎日だったが、3年生のときに階級を上げて78キロ級で個人、団体共に高校総体優勝。個人戦は6戦すべて一本勝ちの圧勝で、「やっと芽が出た」と自分でも手応えを感じた。その日から、ロンドンオリンピック金メダルが、現実の目標となった。
進学先を筑波大にした理由は2つ。「男女いっしょに練習ができるので、男子と練習して強くなりたかった」「自主性を重んじた練習と、寮ではなく一人暮らしの自由さに惹かれた」から。徹底的に管理された高校時代からいきなり解放されても「オリンピックに絶対に行くと強く思っていたので、まったくブレることはありませんでした」。
わき目も振らずに稽古に励み、2年生で世界選手権初代表となり銅メダルを獲得。翌年は同大会で銀メダル。勢いのまま4年生で念願のオリンピックの代表にも選ばれた。「嬉しいというより、あたりまえだと思っていました。出ると決めてから本気で一直線だったので」。全日本の合宿は過酷を極めたが、金メダルを信じて弱音も吐かずにやりきった。だからこそ、そのオリンピックの2回戦で負け、メダルなしで終わった時のショックは大きかった。気持ちを切り替え練習を再開し、大学を卒業すると、筑波大の卒業生が多く在籍する、柔道の実業団・了徳寺大学職員柔道部へ就職。社会人として、4年後に捲土重来を期することとなった。


スイッチが入ったら、毎日12時間勉強していました

柔道整復師と鍼灸師は同時には資格取得のための勉強はできない。それぞれに領域が違い、勉強する内容も異なるため、専門学校で各コースを修了するには各3年を要する。緒方さんは自身のケガの経験からも両方の資格取得を目指したいと思っていた。「まず柔道整復師から目指すことにしたのは柔道部の監督から、柔整から勉強して鍼灸へという人が多いと聞いたからです。所属先では、職員柔道部の人はどちらかのコース3年間分は授業料免除と言う特典がありました。柔整と鍼灸は1年だけは期間が重なってもよかったので、結局通ったのは5年間。柔整の資格を3年後に取得してからは、鍼灸の3年分は自分で学費を払うため、系列の治療院で柔道整復師として働かせてもらいながら、現役時代の貯金を学費に充てました。どちらの資格試験も一発合格できて、自分でも頑張ったなと思います」
ケガの経験のある選手は、引退後に鍼灸師の道を考えることも少なくないが、時間とお金と国家資格ゆえのハードな勉強に躊躇して多くの人が二の足を踏む。緒方さんも最初は勉強をする習慣がなく、「どこからどう取り組めばよいのか、まったくわからなかった」。試験は3年生の2月末に行われる。柔道整復師の試験の、半年前の模擬試験は合格ライン120点中80点しかとれずに青ざめた。「これはまずい」と言われ、スイッチが入った。
「そこからは毎日12時間勉強しました。朝早く起きて午前中は柔整の勉強。午後からは鍼灸コースの1年目の授業。夕方は練習か、もしくは学校で柔整の勉強。帰宅して夕飯後に真夜中まで柔整の勉強。ガンガンやりました。その年度に現役を引退して、今度は働きながら鍼灸の勉強をしましたが、このときもスイッチが入ったのは3年生の夏。またも合格ラインに届いていなくて、さすがにこのときは仕事を4か月休職して、ロングスパートしました」
柔道整復師、はり師、きゅう師の3つの国家資格を取得したオリンピアンは、2022年3月現在、緒方さん一人だという。「周囲から”5年もすごいね“”勉強たいへんだったね“と言われるのですが、とコレと決めたら振り返らずに突き進むのが、柔道でオリンピックをめざしていたころからの、私の生き方でした。不器用ですが、自分を信じて、トコトンやりきるのは自分でもピカイチだと思っています」


熊本に帰って、地元で開業したい

 緒方さんが3つの国家資格を取りたいと考えた理由がもう一つある。将来は故郷の熊本に帰り、実家の近くで開業したいと思ったのだ。高校から親元を離れていたこともあり、親の面倒を見ながら、地元の人たちに恩返しがしたい気持ちがあった。「資格があれば、それぞれの資格に伴う法律や規制を守ったうえでということにはなりますが、営業時間や場所など、比較的自分のやりたいように開業することができます。美容をやりたければ美容の鍼もありますし、自宅に診察室を作れば、ママ友にも気軽に来てもらえる。結婚して、出産しても自分のペースで時間も休日も決められます。国家資格を持っていれば開業しなくても、いつでも、どこでもほぼ勤務ができますが。私は“開業できる”というところに先々、自分が仕事を続けていく道を見出しました」。
ハードな試験勉強を乗り越えられたのは、緒方さんには3つの強み、人にはない動機があったからとも振り返る。一つ目は「選手としての経験」。今は所属先だったチームの女子選手のサポートもしているが、週末には高校生の柔道の大会にトレーナーとして手伝いに行くこともある。そんなとき、自身の経験から心境を察して接することができ、若い選手には経験談も少しは話せる。二つ目は「臨床件数が多かったこと」。鍼灸師の勉強をしているときはすでに柔道整復師として働いてもいたので、他の学生より診ている患者の数が多かったことが自信になった。三つめは「女性であること」。生理や女性特有のつらさへの共感。同性だからこそわかる体の不調や、ゆくゆくは不妊の悩みや更年期障害などにいっしょに向き合えたらと思った。パリオリンピックまではクリニックに勤務しながら所属の選手をサポートして、その後は熊本に帰りたいと今は考えている。
現役時代、大ケガをしてから治療やリハビリでたくさんの人のお世話になった。鍼灸師の中にはアスレティックトレーナーの資格と経験を持つ人もいて、治療だけでなく体の使い方や予防のトレーニングも教えてもらえて、選手としてとてもありがたかった。心の中で今も昔も師匠と呼んでいるトレーナーの方々には、スキルやコミュニケーションのすばらしさ、人間性など、今も学ばせていただいている。資格はとっても患者さんや選手たちを前に、もっと役に立ちたいと思うほど、勉強したいという意欲は高まっていく。学びに終わりはないと緒方さんはいう。「師匠は話しているだけで、安心感を与えてくれます。技術だけでなく、そんな雰囲気を持った人になりたいと思います」

 

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