岡本 篤志『競技から離れた時こそ積極的になってほしい。そのキッカケや機会を作っていきたい』

岡本 篤志
1981年生まれ。三重県出身。小学校3年の時から野球をはじめる。中学校時代は学校の野球部に所属。高校は県内強豪校の海星高等学校に進学し、2年生の夏、エースとして甲子園に出場。翌年の春の選抜大会にも出場。その後明治大学に進学。東京六大学リーグ戦通算で48試合に登板し12勝という成績を残した。2003年ドラフト会議で西武ライオンズ(当時)入団。1年目の2004年に一軍公式戦10試合に登板するなど、主に中継ぎ投手として通算13年間活躍し2016年現役を引退。2018年に株式会社L.M.Kを設立し、大学野球部の学生をメインに体育会系人材の就職支援、日本在住の外国人エンジニアの転職・就職支援事業を行っている。


これまでのキャリア

●1997年 海星高等学校へ入学
●1998年 第80回全国高等学校野球選手権大会に出場
●1999年 第71回選抜高等学校野球大会に出場
●2000年 明治大学へ入学
●2003年 NPBプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズ(当時)入団
●2016年 通算13年間の現役生活を終え引退
●2018年 株式会社L.M.K 設立


■甲子園に出場することだけ考えていた

中学校野球部の時に投手としてチームを県大会に出場させる活躍もあり、県外の高校からも勧誘があった中、『甲子園に出場することだけを考えていました』と県内の海星高等学校に進学する。自宅から通学するには少し距離もあり高校3年間は下宿生活を送っていた。県内屈指の強豪校で選手一人一人の向上意識も高く、全体練習終了後も自主練習に励むチームだった。
2年生の夏、エースとして甲子園に出場。翌年春の選抜大会にも出場し準々決勝まで勝ち進む。高校球児の誰もが憧れ目標とする甲子園出場を夏・春の2期連続で出場した。そして迎えた3年生最後の夏の県大会、決勝戦まで勝ち進み3期連続の甲子園出場目前だったが最終回に逆転されサヨナラ負け。『最終回はもう勝ったと思っていた・・・心にスキがありました』とマウンドに立っていた当時を振り返る。
高校野球の最後は悔しい思いをしたものの、甲子園での活躍もありNPB球団のスカウトを受けた。しかし当時はまだ自信もなく、大学野球を選択し明治大学に進学。岡本さんは『入学当初からプロ野球選手になるという思いがありました』と当時を振り返る。その言葉どおり東京六大学リーグ戦では通算48試合に登板し、12勝という成績を残している。そして2003年、ドラフト会議で西武ライオンズ(当時)入団。1年目の2004年に一軍公式戦10試合に登板、翌年の2005年には開幕6戦目に先発を任される。その後中継ぎ投手として通算13年間プロ野球選手として活躍した。


■怪我との戦い

2009年に股関節を疲労骨折。スポーツの文献を調べてもらっても同じ個所を疲労骨折した前例がなく、手術してもしなくても全治が分からないという状況だったが、球団から『時間がかかってもいいからしっかり治してくれ』と言ってもらい、1年間治療とリハビリに専念した。
いつ痛みが無くなるのか、いつ投げられるようになるのかという気持ちの中、チームの成績も低迷し『自分がいればチームに貢献できたのに・・・』と精神的にもつらい時期だった。
翌年から復帰し順調に活躍していたが、2015年の34歳の時に今度は肘の遊離軟骨を除去する手術をする。比較的難しい手術ではなかったので早期に復帰できると考えていたが予想以上に完治に時間がかかった。その後復帰して2軍で結果を残していたが中々1軍に呼ばれず歯がゆい思いも持っていた。若い投手が1軍に上がる時は頑張ってほしいと思う反面、悔しい気持ちもあった。だが、少しずつその気持ちも無くなってきていると感じた時、引退の決意をした。
「最初は鳴かず飛ばずで、プロ1年目から活躍できた訳ではないので13年間もプロの世界でやっていけるとは思っていませんでした。怪我などの痛みを抱えながらも2軍であっても最後までやり切ると決めてやっていたので、自分で引退すると決めた時はとても晴れやかな一方悔いしかないプロ野球人生でした。」


■引退後、球団に残る選択肢もあった中

「引退試合も準備していただき球団に残るお話しもいただいたのですが、元々現役時代に法人だけは持っていたのでそこで何かをやるっていうところだけ決めて覚悟を持って動き出しました。」
最初は何処かの企業に入り経験を積んで事業をスタートさせる選択肢もあった。ただ、当時35歳という年齢だったこともあり、知り合いの会社に入るくらいしか出来ないのでは・・・と考えた時に、2年3年で辞めるのは失礼になると思った。
元プロ野球選手という肩書もあり最初は色んなセミナーに呼ばれて講演する仕事も多かったが、立ち上げた会社の事業は人材紹介、外国籍人材の紹介事業。最初の成果はホテル業界に2名送り出せたことだった。「正直、プロ野球選手の時に得ていた収入・金銭感覚も残っていたので、事業として収益を上げることの難しさや、時間がかかるとも感じましたし、大変さの中で学ぶことも多かったですね。」


■チームスポーツを経験しているアスリートは社会人基礎力が身についていると思う

人材紹介・学生の就職支援の事業において、学生アスリートの方々と沢山お会いする機会がある。自分自身もそうだったように、アスリートたちは今まで出会った指導者やチームメイトとのコミュニケーション量も豊富で、かつ、チーム内の上下関係を通して自然と社会人基礎力が身に付いていると感じる。「無意識のうちに自然と身に付いている部分なので、そこを意識させることでより丁寧にできるようお話ししています。」
また、そのような人材は課題を提示してもしっかり準備してくるので、その対応力もしっかりと褒めて自信を付けてもらうことが大事だと考えている。学生アスリートに限らずスポーツアスリートたちは、競技を引退した後や引退を考え始めた時に結構消極的な姿勢になっている人も多い。「毎日毎日、同じルーティンを繰り返し、感情の起伏が有るなかでもずっとルーティンを繰り返す力。それができる選手が一流選手だと思うし、それを長く継続できていることも大変素晴らしいところだと思うんです。」そんな選手たちは本来精神的にも強いハズなのに、競技から離れるとなぜか消極的な姿勢になっていて非常にもったいないと感じている。


■アスリートとしての経験

一つの競技を長年やってきたアスリートとしての経験は一般の社会では中々経験できるものではないので、その経験に自信を持って次のキャリアに挑戦してほしい。
「体育会系の学生、特に大学野球部の就職支援をさせてもらっている中で感じるのは、インターンシップに行ける時間も少なく、企業が学生に何を求めているのかを知る機会も少ないということです。そこもしっかりと伝えてあげたいと考えています。」自身の経験や強みをしっかり考える機会を与えることで思考力も上がり、自身のキャリアにもつながっていきます。そしてその考えが今頑張っている競技にもしっかり活かされると思っている。

自分自身に自信が付けばポジティブに考え動けるようになっていく。特にアスリートたちはその能力に優れていると思う。キッカケを作ってあげることも自分の役割だと思っている。

 

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