秋本 啓之
1986年生まれ。熊本県宇城市出身。5歳の時に柔道をはじめる。桐蔭学園高校時代無差別級全国高校選手権で66㌔級ながら優勝。その後、筑波大学時代に世界ジュニアを制するなど数々のタイトルを獲得。卒業後は2009年に階級を上げ講道館杯で優勝。そしてワールドカップウィーン大会で優勝。その後も数々の世界タイトルを獲得するもののオリンピックには出場できず、引退後は後進の指導にあたるとともに、全日本柔道連盟女子強化コーチにも就任。
これまでのキャリア
●2004年 全国高校選手権にて無差別級で優勝
●2005年 世界ジュニア優勝 フランス国際優勝
●2009年 階級73㎏級で講道館杯優勝 ワールドカップ優勝
●2010年 世界選手権優勝 アジア大会優勝
●2011年 グランドスラム優勝
●2014年 グランプリ・デュッセルドルフ 優勝 グランドスラム東京優勝
●2016年 引退 全日本女子強化コーチ
●2021年 全日本男子73kg級 81kg級強化コーチ
●2021年 デジタル・スポーツ・ジャパン株式会社に籍をおく
■根っからの柔道一家
気が付けば柔道が生活の一部だった。父親が世界ジュニア、嘉納杯を制している柔道家ということもあり5歳で本格的に柔道をはじめる。幼少期から厳しく育てられ、1999年に全日本ジュニアで日本一になった4歳上の兄と共に柔道一家であった。熊本県宇城市富合町藤井道場から松橋中学で鍛えられ、
高校は縁があって神奈川県の桐蔭学園高校を選ぶ。兄が中学生時代、全国大会とインターハイで敗れた相手の選手が桐蔭学園高校に行ったということを聞いて興味を持った。そして父親の勧めもあり色々な縁が重なり入学を決意。
そういった縁のある桐蔭学園高校で自身の力を試したい一心から、無差別で行われる高校選手権にチャレンジすることを決意。66㎏級の選手が100㎏超の選手を相手になんと神奈川県大会を突破。そして全国高校選手権大会に出場。なんと66㎏級の選手で出場した秋本さん。重量級の選手を次々とやぶって優勝した。この快挙は以後誰も達成していない。
その後、筑波大学へ進学。1年生時には本来全日本ジュニアの合宿に呼ばれるが、高校時代の成績を評価されシニアの合宿に参加していた。
そしてシニアの大会にも出場機会を与えられた。後にシニアで戦える自信にもなったという。その後世界ジュニアを制し父子二代で世界ジュニアチャンピオンとなった。また嘉納杯でも父子2代で優勝している。
2005年にはスーパーAトーナメントと呼ばれていたフランスの国際柔道大会で優勝する。この大会で2008年の北京五輪を意識するようになったと秋本さん。
■数々の世界タイトルホルダーですら遠いオリンピック
オリンピック出場に向けて順調に見えたが、減量苦で過食おう吐摂食障害になった。2006年のアジア大会では3位に終わり、2007年の世界選手権では、直前に靭帯断裂して4回戦負け。2008年の遠征中には脱水症状を起こし、五輪を目指すことを断念する。当時のライバルであった、地元熊本の先輩である内柴選手が金メダルを取ることになる。そして思い切って階級を66㎏級から73㎏級に上げることを決意。その成果はすぐに出た。階級をあげると本来の柔道が戻り始め講道館杯で優勝する。
筑波大学卒業後、了德寺学園に就職する。数ある誘いの中で、柔道に専念できる環境をもとめ就職を決めた。今でこそ柔道に専念できる環境が整った企業が多くなったが、当時の了德寺学園は柔道に専念できる数少ない企業の一つであった。その後、国際大会でも実績を重ね、ワールドカップウィーン大会で優勝する。そして全日本選抜柔道体重別選手権大会で優勝。2010年9月、世界選手権では優勝を果たし、父子2代での世界選手権メダリストとなる。その後アジア大会でも優勝。12月のグランドスラム東京でも優勝。2012年のロンドンオリンピックに向けて順調な調整を続けたが、その年の1月に左足の甲を痛め全治3か月と診断される。そして5月の選抜体重別で敗れ、北京オリンピックに続き2度目のオリンピック出場の機会を逃したが、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場を目指し現役続行を決意。
2014年グランプリ・デュッセルドルフでは優勝を果たし、9月のアジア大会でも2連覇、12月のグランドスラム東京では、後の金メダリストの大野選手を破り優勝する。2015年のグランドスラム・パリでは世界ランキング1位の選手を破り優勝。グランドスラム・東京では2連覇達成。破竹の勢いでオリンピックは確実視されていた。しかし、2016年に入りグランドスラム・パリで準決勝敗退。同4月のオリンピック最終選考会でもある、全日本選抜体重別選手権大会でも初戦で敗れリオデジャネイロオリンピック出場は果たせなかった。そして6月の全日本実業団対抗選手権で引退。
■実現できなかったオリンピック金メダルを教え子に取らせたい
現役時代にこれほどまでの実績を残し、数々の世界タイトルホルダーとなった秋本さんは柔道界でも信頼は厚い。引退後はオファーが多数ある中、指導者への道を決めた。そして社会人時代からずっと支えて頂きお世話になった了德寺学園で指導にあたることを決意。
2016年12月から全日本の女子重量級のコーチとして2021年東京オリンピックまで帯同する。教え子も育った。そしてオリンピック後は了德寺学園から、新たなフィールドで活躍をもとめ柔術の世界にも目を向けはじめる。残念ながら柔道の人口は減ってきている。ただ柔術は違う。ここ最近は年齢に関係なく柔術を始める人が多くなってきた。
他競技である柔術の良さを柔道にも取り入れるために元世界チャンピオンはデジタル・スポーツ・ジャパン株式会社に籍を移す。秋本さんの夢実現のために迎え入れていただいた会社だ。
引退後のセカンドキャリアで悩む時期は誰しもが持つ。秋本さんも相当悩みながら、色々な先輩に相談している中、長年世界のトップで柔道に取り組んできた経験を活かして海外向けに柔道衣そして柔術着のプロデュースをするアイディアに辿りついた。
■柔道の魅力も広めたい、そしてVISION
柔道の指導では、筑波大学の柔道部や子供たちへの指導も続けている。
そして2021年10月には新たに全日本柔道男子を率いる鈴木桂治監督の元、73㎏級・81㎏級のコーチとしてパリ五輪で金メダルを獲得できる選手の育成を目標として指導にあたっている。
そんな中、現在新たなフォールドである柔術に挑戦中。
全日本女子合宿のクロストレーニングの一環としてとして柔術の先生を招いてトレーニングを経験した。柔道をより魅力的に、そして柔道を知らない人にも柔道に興味を持ってもらうためには、柔術をはじめとする他競技の良い部分を柔道にも取り入れていく必要があると感じた。
もともと立ち技中心の柔道。柔術は寝技中心のスポーツ。年齢・階級・色帯制度で区分けが多いことやデザイン性の高い道着に魅力を感じた。
柔道は人口が減っている一方で、柔術の競技人口は増加傾向にある。自身で柔術を学ぶ中で、柔術着のデザイン性の高いお洒落でカッコいい柔術着の要素を柔道衣にも取り入れたいという想いが強くなった。
そして自ら日々稽古に励む中、柔術世界一への挑戦にも意識が向き始めた。
■柔術で世界一、そしてKIMONOブランドの創設
まだまだチャレンジははじまったばかり。同じ格闘技ではあるものの柔術をはじめて約一年で世界一に挑戦することを決め、2022年アブダビでの大会へ出場した。
柔道現役時代ほどの練習はできない。でも本当に楽しい。年齢的なこともあるが、カテゴリーの細分化が進んでいるスポーツであるため誰にでも世界一へのチャンスがある。
そして魅力に感じた柔術の道着、KIMONOブランドの創設者として柔術の魅力、オシャレな道着を世界に広めていく挑戦ははじまったばかり。
KIMONO®は純国産にこだわり、高品質な綿生地と柔道を支えてきた職人の縫製技術を折り合わせ、機能性・耐久性・デザイン性に優れたユニークな道着。
世界大会でこの道着を纏い、世界の人々に武道の素晴らしさや日本国産の道着の素晴らしさを知ってもらいたいと秋本さん。
柔道をより一層高めるために柔術の要素を取り入れ、自身でも柔術を経験したことでコーチングの幅も広がった。これからの柔道界も楽しみだ。そして秋本さん自身もコーチでありながら柔術に挑戦。そしてKIMONOブランドを世界にひろめる。
元柔道世界チャンピオンのセカンドキャリア。まだまだ大きなことにチャレンジしたいと。しかしベースにある柔道というのは忘れていない。国技である柔道をより多くの人に知ってもらいたい、そして柔道に触れてもらいたい、秋本さんのセカンドキャリアのチャレンジは続く。