室伏広治選手。2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投げで金メダルを獲得するなど、オリンピック4大会連続出場中の現役アスリート。
競技を続けながら大学院に進んで博士号を取得し、現在は東京医科歯科大学教授として教鞭を取りながら、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会スポーツディレクターとして活躍の場は多岐にわたる。
元アスリートである父の助言を受け、幼少期から競技だけに捉われることなく幅広く挑戦する姿勢が現在の彼のキャリアを支えている。
室伏選手のスポーツキャリア
- 父は、男子ハンマー投げの前日本記録保持者である重信氏。幼少期から父の指導を受け、陸上競技をはじめ様々なスポーツに触れる。
- 成田高校入学後からハンマー投げを専門種目とし、日本高校新記録を樹立。高校総体で2連覇を果たした。
- 中京大学に進学し、一時は壁に当たるも乗り越え、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)を4連覇。1995年に日本選手権で初優勝を果たすなど成長を遂げた。
- 大学卒業後はミズノに入社し、競技を続行。1998年に父重信氏が持つ記録を更新する日本新記録を樹立。同年のアジア大会を制した。オリンピックにも2000年のシドニー大会から4大会連続出場。2004年のアテネで金メダル、2012年のロンドンで銅メダルを獲得した。オリンピック競技大会における投てき種目の金メダル獲得は、アジア初の快挙だった。
- 現役生活を続けながら中京大学大学院でスポーツバイオメカニクスの研究を続け博士号を取得。2011年には、同大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科の准教授に就任した。現在は、東京医科歯科大学で教授を務めている。
- 2014年に東京オリンピック組織委員会スポーツディレクターに就任。日本を代表するトップアスリートの一人として活動を行っている。
道を狭めずに進み、適性を見極める
オリンピック選手である父を持つ室伏さんは、幼い頃からスポーツに触れることが自然な環境で育ちました。陸上競技ハンマー投げを専門にしたのは、成田高校に進学した後であり、それまでは様々な競技・種目に取り組んでいました。最初からハンマー投げを勧められたわけではなく、種目選択の決め手としたのは適性でした。室伏さんは「誰だって、最初から種目を決めてかかってメダルを取りたいでしょうけれど、それは難しい。最初から野球だけ、サッカーだけというやり方は良くないと思います。若いときは、様々な経験をしながらスポーツの適性を探すべきだと思います。これは仕事にも通じることですが適性はとても大事ですね。私の場合は、父がハンマー投げをやっていましたけど、私自身は他に自分に向いているものがあれば、ハンマー投げではなくても良いと思っていました」と当時を振り返りました。
この考えは大学時代でも同様でした。競技を続けるとなれば、目標を設定し努力する、始めたからにはやり切る覚悟が既にありました。
経歴だけを見ると、高校時代から数々の記録や好成績を積み上げているため、順風満帆に見えますが、大学時代には競技を続けるかどうか悩んだ時期がありました。そこで、当時のライバルが出場を予定していたアジア大会の選考会で、自分自身にノルマを課すことにしました。そして「自己ベストを更新しなければ勝てない状況でした。伸び悩んでいたので、100パーセントの努力をして徹底的に練習してもダメなら、才能がないと判断を下さなければいけないと思ったんですね。それで、朝から晩まで練習をして、どんなに疲れていてもここまでは投げられるという状況にして試合に臨んだら、自己ベストを投げることができました。それで、チャンスや可能性は自分で獲得していくのだと気づくことが出来ました。」と覚悟を決めて臨んだことで、自身の可能性を広げ、同時に人生における道の切り開き方を学ぶことができました。
競技力を伸ばした客観性
大学卒業後もミズノに入社して競技を続けましたが、室伏さんが力を注いだのは、それだけではありませんでした。同時に中京大学の大学院に進み、体育学の博士号を取得。バイオメカニクスの研究を続けながら、競技に取り組みました。当時は、競技者は競技をやっていれば良いという風潮があったため、現役の競技者が大学院に進んで研究活動も両立して行うことは、珍しいケースでした。それでも大学院へ進んだのは、幼い頃からの父の教えが影響していました。父の重信さんは、自身の経験から日本におけるアスリートの立場をよく知っていました。そのため、スポーツだけではなく自分の人生設計を考える重要性を息子の広治さんには何度も説いていました。だから、室伏さんは大学の先生になるという目標にも挑戦し続けたのです。
そして「動きのメカニズムなど競技のことをもっと知りたいという思いが3割、大学の先生になるためという思いが7割」が進学の動機でしたが、研究を進めていくうちに、研究を続けたことが競技力向上にもつながりました。室伏さんは「自分を客観的に見て他人の意見を聞くことは、自分の信念を持っている場合ほど難しいものです。でも、やっぱり受け入れなければいけません。だから、科学的に、客観的に自分の動作の分析も行いました。研究をしていなければ、記録が伸びなかったのは間違いないですね。筋肉を動かすだけではなく、情報を収集して、自分の知見をオープンにしていくこともトレーニング。自分の殻に閉じこもる感覚は、良くないと思います。努力をしていても違う方向に進んでしまっている可能性が出てきますから。色々な意見を聞いて情報を得る中で、自分に適したものや手段を見つけていくという手法は、競技力の伸ばし方に通じていると思います。」と自身に対して客観性を持って競技と向き合ったことで、競技パフォーマンスを高められた手応えを持っています。
アスリートは「与えられたものをやる」ものではない
室伏さんは現在、一人の競技者でありながら、東京医科歯科大学の教授でもあり、また日本を代表するアスリートとして2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会のスポーツディレクターを務めるなど、活躍の場を広げています。その背景には、競技と研究で培ってきた向上力と、有能なスポーツ選手特有の自己管理能力があります。室伏さんは、海外遠征の際には、マネージメントを他者に任すことなく、自身で取り組んでいました。
「国際競技会の経験をなくして、オリンピックにいきなり出場することは、なかなか好成績は難しいんじゃないかと思います。だから、海外の大きな大会を経験したかったのですが、普通は呼んでもらえません。だから、大会に参加させてもらうように交渉することも大事です。現地に行って競技だけをするのでは、人間力を伸ばすことはできません。『若い頃の苦労は買ってでもしろ』という言葉がありますけど、国際的なステージで自分の立ち位置を自分で確立できなければいけないと思います。そもそも(自ら探求すべき)アスリートにとって『与えられたものをやる』という考えが、間違い。ルールも含めて、自分が取り組んでいるスポーツを良くするにはどうするべきかという視野を持っていなければ、競技を終えた後の生活にも結びつかないと思う」と室伏さんは言いました。多くの選択肢を持ち、可能性を広げながら、適性を見極める。その努力を主体的に行うといった姿勢が、世界のトップアスリート、そして競技だけに留まらない活躍への成長の土台になっていたようです。室伏さんは、若い学生に向けて次のようなメッセージを残しました。
「スポーツで大成するのは、なかなか難しいことですし、競技生活は、絶対にいつか終わらなければいけないものです。そして、その後も何かに取り組まなければいけません。それなのに、若いうちから『これしかやらない、ほかは要らない』と可能性を狭めてしまう人が多いです。可能性を広げておいて、後から狭めれば良いと思います。教員になるつもりはなかったけど、現役生活を終えてから教員免許を取って指導者になる人もいます。それなら、学生で取れるときに取っておいて、使わないかもしれないという方が良い。人生設計においては、選択の幅を狭めないことが大事です。そして、専門の先生に意見を求めながら、適性を見極めていくことが大切です。また、適性を見つけた場合も、例えばある種目だけということではなく、伸ばせる可能性は全部伸ばしていくと良いと思います。今の時点で何に向いているか分からないのであれば、可能性を広げておくことで、社会人になってからも色々とチャレンジができますよ。」