競技との出会い
1983年生まれ。小学校2年生の頃、当初はアメリカンフットボールをやりたいと思っていたが間違えて地元大分県のラグビースクールに通い始めたことをキッカケにラグビーと出会う。その後、中学校3年時までそのスクールで競技を継続する。当時のコーチは厳しい人だったが愛情を強く感じる指導だった。高校は母の出身地でもある神奈川県の桐蔭学園に進学する。
これまでのキャリア
●1998年 神奈川県桐蔭高校入学 高校1年時、3年時に花園出場
●2001年 早稲田大学入学 ラグビー部で大学1年時、2年時、4年時 大学選手権優勝
●2005年 神戸製鋼コベルコスティラーズ入団 トップリーグ新人賞獲得
●2005年~2006年 日本代表選出
●2011年 現役引退
●2013年 追手門学院大学女子ラグビー部監督
●●●●●追手門学院高等学校女子ラグビー部監督
●2016年 大学日本一、高校世界一に導く
●2017年 株式会社識学入社 組織マネジメントコンサルタント
■ラグビーと勉強の両立
ラグビーと勉強をしっかり両立しながら、高校1年時と3年時に花園全国大会に出場。高校卒業後は早稲田大学に進学しラグビーを続けた。
当時の早稲田大学のラグビー部はリーグ戦でも結果を残せていなかったが、入学した年に清宮監督が就任し一気にチームが強くなっていった。大学1、2年時には大学選手権で優勝、3年時は準優勝、4年時は再び優勝を勝ち取り大学4年間で3回の優勝を経験した。このチーム改革は組織論をしっかりと指導された清宮監督の手腕であり、在学中にその組織論をしっかり学ぶことができた。大学卒業時には複数の企業チームから誘いを受けた中、神戸製鋼に進むことを決める。
■ラグビーと仕事の両立
神戸製鋼に進む際、プロ契約の選択肢もあったが仕事もしっかりやりたいと考えていたので社員として入社することを決め、資材部に配属された。工場で使用する原料や資材の発注業務など購買戦略を立てながら進める業務だった。
ラグビー選手としては1年目にスクラムハーフのポジションでレギュラーとして活躍し、トップリーグの新人賞を獲得。その後、日本代表に選出され、2005年のウルグアイ戦で代表デビューを飾る。毎日、業務が終了した後の練習ではあったが練習量は誰にも負けない自信もあった。
■大怪我と選手引退
入社して1年半が経った2006年11月のワールドカップ予選香港大会で大怪我を負った。長いリハビリ期間を終え、復帰を果たし主将に任命された2007年、新監督に平尾氏が就任した。選手復帰を果たすも怪我の影響は予想よりも大きく、自身の満足がいくパフォーマンスが発揮できず、選手としてのキャリアは長くないと感じるようになっていた。それでも、主将になり平尾監督が就任された年でもあったので少しでもパフォーマンスを上げようと努力したが、満足できるパフォーマンスは出せなかった。
社会人6年目の28歳のシーズンを最後に選手を引退。入社時から仕事も両立していたので、引退後は資材部の業務に専念した。
■指導者としてのチャレンジ
選手引退から2年が経った頃、資材部での仕事の責任領域も広がりやりがいを感じながら業務に取り組んでいたが、トッププレーヤーとして続けてきたラグビーにもう一度関わりたいと思うようになる。大学時代に学んだ組織論を活用して選手指導をやっていきたいと考え指導者の道に進むことを決断する。
指導者としての誘いが多かった中で、新しい領域の指導にチャレンジしてみようと思い、追手門学院大学の女子7人制ラグビーの指導者に就き、同時に追手門学院高校の女子ラグビー部を創設した。就任から3年後に大学日本一に輝き、高校の女子ラグビー部も日本一に導いた。
そして、指導者の契約期間が4年で満了となり退任となった。
■自身が学んだことと指導者経験を生かして
指導者の契約満了後、早稲田大学ラグビー部の先輩が在籍している株式会社識学に組織コンサルタントとして入社。主にスポーツチームの組織マネジメントの仕事で、選手一人ひとりの能力を「運動能力」「技術」「判断力」の3つに分けて数値化しパフォーマンス評価を行いながら個別の目標を設定していく。直ぐに動き出せる選手、動き出せない選手に分かれるが、「選手自身が自分を知る」ことが次のパフォーマンスに繋がっていくことをしっかりと伝える役割であり、これからも沢山の選手に伝えていきたいと思っている。
また、その業務に就きながらラグビーの試合の解説や早稲田大学ラグビー部の指導も行っている。2023年のラグビーワールドカップでも解説を担当。
「8万人の観衆の中で試合展開を解説する仕事ができたことは、元ラグビー選手としても素晴らしい経験になりました。」
■目標を設定してしっかり動いていくことが大事
ラグビーやチームスポーツは自分一人だけでは何もできない。周りの沢山の人たちのサポートがあって前に進んでいけることを感じている。失敗しても沢山の仲間がいるし時には頼ってもいい。小さな目標からでもいいので、自分で目標を設定して周りに相談しながらしっかり動いていくことが大事だと思う。
アスリートはどこに行ってもやり切る力があるはずだと信じている。