岡田優介。東京都出身の異色のトップアスリート。
現役のプロバスケットボール選手であり、一般社団法人日本バスケットボール選手会の会長、公認会計士、そして3人制プロバスケットボールチームのオーナー。
プロの厳しい環境に身を置きながら、様々な顔を持つ彼のスポーツキャリアの原点は、幼少期からの“明確な将来のビジョン”とバスケットボール界の発展の為という“ぶれない軸”でした。
岡田選手のこれまでのキャリア
●小学校の低学年から兄の影響でバスケットボールをはじめた岡田選手。
将来の夢は「プロ選手になること」と「日本一になること」。
●中学生時代は、東京都選抜に選ばれ、全国レベルを体感。高校への道筋が開けた。
●高校は日本一になるために強豪校を目指し、茨城県の土浦日大高等学校に越境入学するも、入学してすぐの病気で入院とリハビリで半年間競技を離れる。その経験によって、競技だけでなく、競技以外のことにもしっかり取り組むというポリシーが明確になった。
●青山学院大学に進学後には大学選抜に選ばれ、プロ選手まであと一歩という手ごたえを感じた。ただのプロ選手ではなく、「自分だけしかできないことにチャレンジしたい」、「バスケットボール界にとって良いことをしたい」と公認会計士の勉強を始める。
●卒業後、実業団チームトヨタ自動車に入団。その後、日本代表にも選出される。2010年に公認会計士の試験に合格。2011-2012シーズンにはトヨタ自動車の主力選手として日本一にもなった。
●2013年に一般社団法人日本バスケットボール選手会の初代会長に就任する。
●数チームの移籍を経て、2015年シーズンから千葉ジェッツに移籍。
●Bリーグ2016-2017シーズンから京都ハンナリーズに移籍し、現在に至る。
困難なことを達成することの“成功体験”、文武両道へのチャレンジ
幼少からのバスケットのプロ選手になるという夢を胸に強豪高校に入学した直後、思いがけず肺の病気を患い、1か月の入院、半年のリハビリを余儀なくされた岡田選手。受けたショックと挫折を、心に決めた目標、夢に向かって気持ちを切り替えて前向きに乗り越えました。
「実は入院期間にリハビリだけでなく、勉強を頑張りました。入院期間の1ヶ月に、進学コースのテキストを全部前借りして、高校1年分の勉強を自分で終わらせました。『退院してからは、余計なことを考えずにもうバスケに集中したい』という考えに至り、入院生活中は、『とにかく自分が今できることは勉強しかないから、勉強しておこう』と思いました。 」
「その頃には『勉強をしっかりやって、その上でバスケをやる』っていうことが自分のポリシー、核心になっていました。バスケは練習を頑張ればどんどん上手くなるし、勉強では勉強した分だけテストの点数に跳ね返ってくる。それは僕の中での “成功体験”でした。一つのことだけではなくて、二つやる。簡単にできないことにチャレンジするというのがずっと生きがいでした。バスケにおいても、日本一になることも、日本代表になることも大変ですけど、それにチャレンジしていこうと。人生の中で大きなことにチャレンジしていきたい。そういう意味では文武両道(というポリシー)が確立されていったのかなと。」
自分しかなれないプロ選手を目指して、会計士の資格を取得へ
大学に入学後、大学選抜に選ばれるようになるも、日本代表(A代表)には召集されず、結果も伴わない時期が続きました。バスケットボールで一つのことを成し遂げたという感覚を得たことがなかった彼は、『まだまだやれるぞ』という気持ちで大学生活を送っていました。
プロになりたい、という目標はずっと持ち続け、手の届く範囲に来ていると感じたこの時期、プロになることはゴールではなく、通過点であるという心境に変わっていきました。
そして、生来のチャレンジ精神と旺盛な好奇心によって、単なるプロ選手ではなくて、自分にしかできないことを成し遂げようと決意。丁度、時代はバスケットボール界の混乱期にあり、大好きなバスケット界に力になれることをやっていきたいという願望が生まれました。その為、選手としての技術だけでなく、本人の信用力や発信力、社会的な力を身につけるために武器を身につけようと会計士の勉強を始めました。
「今までやった人もいないだろうし、僕しかできないと思ったので。バスケをより良い環境にすることが、巡って自分自身のためでもあるし、ここまで没頭してきたスポーツを、もっと良い業界にできたらという思いがあったので、バスケ界全体の為に良い一つの武器になるだろうなと思い、会計士を目指しました。
将来、会計士になろうとか、引退後の保険というつもりで目指したわけではなくて、自分しかできないことをチャレンジしていきたいという思いでした。引退後のことを考えて色んな勉強をしておくっていうのは別に悪いことじゃないと思いますが、僕の場合は、現役中のファーストキャリアと引退後のセカンドキャリアが明確に区切れるものではなくて、デュアルキャリアといいますか、現役中にそういった活動もするっていうのが僕の生き方だと思ってます。」
(会計士としても活動している岡田選手)
バスケットを軸に様々な視点で物事を見る大切さ
「大学を卒業して実業団チームトヨタに入団した後の2010年に公認会計士の試験に合格しました。そして、2013年はバスケットボール界をより良くしたいという想いから選手会を立ち上げ、初代会長に就任しました。当時、リーグの運営側からの一方的なルールや競技スケジュールの変更等があり、所属する選手同士でも主体的に発言していくことが必要だという想いからの率先した行動でした。
その後、所属チームを何度か移籍する中で得た機会を活かし、現在では3人制プロバスケットボールチーム「DIME.EXE(ダイム・ドット・エグゼ)」のオーナーに就任することになりました。岡田選手には、バスケットボール界の発展のためというぶれない軸があり、その軸を中心に色々な視点から業界を見つめることの大切さを認識していきます。
「3×3の運営をやるってことで、チームの経営者や、オーナー側の視点も身につけることができるし、僕としてもレベルアップできるのではないかなと思います。ずっと選手の視点だけで物事を考えて『選手が、選手が、』と言っていても、周りは『選手だからでしょ』って言うかもしれないですけど、色んなアプローチ・視点を持つことって選手にとっても必要だと思います。選手の視点も持つ、経営者の視点も持つことで、また違ったものが見えるかなという考えがありました。」
「(色々な事に取り組むことは)バスケのピポットみたいなものですね、軸足は常にバスケにおいて、軸足は常に一緒で、ただ色んなところに足を入れて見てくるっていうのはすごく大事な視点かなと思うので。あれこれ闇雲にやっているってわけではなくて、一つ芯を持ってやっていくということが自分の中で大事かなと思っています。往々にして新しいことをやると、色んな批判もあったりしますけど、でもその信念を曲げずにやっていけば、結局は最終的には理解してもらえると思うので、新しいことにどんどんチャレンジしていくというのはこれからも続けていきたいと思います。」
自分の殻にこもらずにチャレンジを
チャレンジ−。岡田選手は競技でも競技以外のことでも挑戦することによって自身の可能性を広げてきました。自分だけの小さい世界にとどまらず、多くの物に触れることで自分の知らない自分の未来を形創ることができるのです。
「(今の)自分はまだまだできるという思いがすごく強いので、殻に閉じこもらないで外にでていきたいです。結局、人生の中で会える人は限られていて、でも可能性は無限にあるので、終わりはないのかなと思っています。そうすると、また新たな出会いや新たな知識を得た中で、また新しい刺激があります。知らないことはたくさんあるので、知らないことを知り、それが出来るようになった時の楽しさ、面白さを一度味わうと、常に高いモチベーションを保てて、今の自分じゃ気付かないことがまた来る。選手会もまさか自分で作ると思っていませんでしたし、誰かが作るのだろうなぁってずっと思っていました。ただ自分が今まで頑張って会計士の勉強をして、それなりの信頼をされたから(設立)できたことなので。当時は、まさか会計士の資格がそんなことに役立つなんて思って勉強してわけじゃなかったんです。でも今は、5年後・10年後にはまた『これを5年前にやっていたからこれが生まれたのだな』ということがきっとあると思うので、それを常にモチベーションにしているのかなっていうのはありますね。」
(2015年シーズンを千葉ジェッツで戦う岡田選手)
今後の自身のキャリアについて
「時代が時代というか、アスリートが多くのことを発信していくべきだと思っていて、そういうことができる時代になっていくと思います。アスリートが持つ力っていうものは、すごく大きいと思います。ただその力というか、見えないふわっとしたものをちゃんと具現化していく、具体化していく。そういったことをこれからもしていきたいと思いますし、そうすることがアスリートとして当たり前のこと、当たり前になるように、文化を醸成していきたいなと思っています。そうすることによって、スポーツ界全体がより価値のある業界になってくると思うので。アスリート一人ひとりがそういった自覚を持って、一人ひとりがレベルアップすることで、盛り上がってくるなと思います。そういった道標(みちしるべ)を作っていきたいなと。一つのロールモデルを僕は作っていきたいなと思っています。」
(2016-2017シーズンをBリーグ京都ハンナリーズで戦う岡田選手)