競技との出会い
1983年生まれ。母親がホッケーの企業スポーツ選手だったこともあり、1歳の頃からホッケーと触れ合う機会が多かった。ホッケー選手として本格的なスタートは高校に入ってから。当初はデザイン学を勉強したいと思い高校に進学したが、ホッケー部の顧問が母親の1つ下の後輩だったことから体験会に参加し、そこから競技にのめり込んでいった。
これまでのキャリア
●2004年 大学3年生時、日本代表に選出
●2006年 名古屋フラーテルホッケーチーム入団、国内4冠達成
●2015年 国内4冠達成
●2015年 日本代表引退
●2016年 リーベ栃木へ移籍
●2017年 株式会社タカセキカク設立
●2017年 栃木県代表の選手兼監督として国民スポーツ大会(愛媛県開催)初優勝
●2017年 日本リーグH1リーグ昇格 現役引退 チーム退団
●●●●●全国社会人選手権 10連覇
●●●●●国際試合出場数 97
●●●●●国際大会ベストGK2回受賞
■高校卒業時
高校からホッケー競技を始め直ぐに選手としての能力を発揮し、栃木県の選抜チームに選出され国民スポーツ大会に出場。少年の部で準優勝を獲得したことが評価に繋がりU-18日本代表に選出される。
元々、デザインを学びたいと思って進学した高校で、将来的にもデザイン関係の仕事をしたいと考えていたが、ホッケー選手としての活躍もあり複数の大学から声がかかった。自身のホッケー選手としての周りの評価を再認識し、大学でも競技を続けることを決意し、天理大学に進学した。
■大学から社会人時代
高校時代からゴールキーパーとして活躍し、大学3年生時に初めて日本代表に選出される。大学卒業後の進路は、当時ホッケー競技を企業スポーツとして取り入れている企業が無かった為、愛知県の自動車系商社に一般就職し、クラブチームの名古屋フラーテルホッケーチームに入団した。就職先の企業の理解もあり平日練習にも参加しながら、社会人選手として競技に取り組むことができた。
入団した年に国内4つの主要大会で優勝するなど、全国社会人選手権では10連覇を達成した。
■コーチからのアドバイスと選手引退のキッカケ
ロンドンオリンピックの予選時に、ヨーロッパのトップのGKコーチから競技以外のアドバイスも沢山受けていた。『選手の時に、競技以外の将来のことをしっかり考えて選択肢を作っておくことが大事。その中から自分に合ったベストな選択をすることが大切である』ということを学んだ。当時の自分は一つのスタイルを貫く姿勢だったが、そのアドバイスから考える力が身に付き、競技の視野も広がったことで、選手としてのパフォーマンスも向上していった。
2014年のアジア大会で惨敗した後の翌年、日本代表のキャプテンに任命される。しかし、新チーム初日の練習で大きな怪我を負ってしまい、3ヶ月間練習に参加できなかった。
ちょうどその頃に生まれ育った栃木県日光市の雑誌記事を目にした。『消滅可能性都市 日光市・・・』目を疑った。選手としてのピークを過ぎていると感じていたこともあり、怪我からの復帰を目指しつつ、何か故郷のためにできることはないかと真剣に考えるようになっていた。
■故郷に戻ってのセカンドキャリア
2016年3月、会社を退職し故郷の日光市に戻る決断をする。競技以外の選択肢を考えるようになっていたこともあり、大きな怪我と雑誌の記事が自身の次のキャリアに踏み出す大きなきっかけとなった。
日光市から『高瀬さんにはホッケーに携わってほしい』と依頼を受け、地元のクラブチームで2年間選手としてプレーしながら、ホッケーの普及活動にも積極的に関わっていった。最初の1年目は選手としてプレーしながら経営の勉強会に参加したり、WEBデザインの学校に入学してしっかり勉強した。そして、2年目の2017年に WEBデザイン系の会社、株式会社タカセキカクを設立し選手と仕事を両立していくことになる。仕事面の顧客を開拓するべく地元日光市の企業や商店を訪問していたが簡単には仕事が入ってこない。『社会は甘くない』ことを痛感した。それでも、『日光市を元気に!』という想いで何度も企業や商店に訪問し、色んな方々に助けられながら、設立1年が経った頃、周りの口コミで少しずつ仕事が広がっていった。「発注いただいた業務に誠実に取り組んだ評価だと思っています。」
故郷に戻った3年目に選手を引退し、仕事を通してホッケーの普及活動に携わっていった。
■ホッケーの現状と仕事の接点
日光市はホッケーが盛んな街だが様々な実情があった。その実情を解決することを仕事としてやって行こうと動いた。「ホッケーの用具が買えない→ホッケーショップ作る」「チームに入らないとホッケーができない→自由参加型のクラブチームを作って自社で広告を作成」「GKコーチがいない→自身がGKのコーチング事業を行う」「中学校のホッケー部が廃部になった→地域クラブチームを作って自社で広告を作成」「ホッケーの魅力をもっと広めたい→ホッケーの広告を作成」など、自身のホッケー選手としての経験とWEBデザインの仕事が、結果としてホッケーの実情を少しずつ解決し、普及活動にも繋がっていると感じている。
今後も継続して地元地域の企業や商店のプロモーション活動をサポートしていくと同時に、将来的にはヨーロッパのように全世代型のクラブチームや総合型地域スポーツクラブを設立し、地元地域の企業や沢山の人たちと接点を作り、スポーツやホッケー通じて『日光市を元気に!』していきたいと思っている。
■アスリートのマインドは次のキャリアでも活かせる
アスリートとして培ってきたマインドは必ず次のセカンドキャリアでも活かすことができる。自身もコーチからアドバイスを受けた、『選手時代から沢山の選択肢を考えること・・・』とても大事なことだと思う。好きなことや得意なことからでも良いので、選手時代から勉強してしっかり情報収集していってほしい。